「たとえ我が身が滅びても、私はあなたを恨みませぬ。あの世であなたの幸せをお祈り申しまする」
凛とした声が客席の隅々にまで響き渡る。
「さぁ、冬四郎様。私を殺してくださいませ!私を永遠にあなたの物にして下さいませ!」
冬四郎―――看板役者・藤村智彦が握る刀を掴み、拓海はそれを自分の胸元に引き寄せた。狂った女を全身で表現し、同時に幽玄の美を醸し出すのが今回の彼の役どころなのだ。
拓海演じるお松は町娘。武士・冬四郎と身分違いの、重ねて不義密通と称される道ならぬ恋に陥り、冬四郎の幸せのために自ら身を引く決心をする。
その方法は死であった。死者は永遠に生者の心に生き続ける。死ぬことで冬四郎の妻に勝つのだというお松の狂おしい恋情。それを演じなければならない。
「お、お松……」
「さあっ……!」
取り使うテーマ柄、年配者が多い客席の中で、ひとり芝居に見入る若い男がいた。
ブランド物のジーンズと黒のシャツを身にまとい、シルバーアクセサリを身に着けたモデル風の男だったが、芝居に見入る様子は他の観客と何ら変わりない。
「……つぅ!!」
舞台上ではお松が引きつるような悲鳴を発し、力なくその場に倒れこんでいた。お松自ら冬四郎の腕を引いて自決したのだ。客席に向けてお松の白い貌が晒されている。頬にかかる後れ毛、青白い肌によく映える紅、虚ろな瞳の全てが見る者の目を惹きつけた。
「これ……で、…私は、あなたの…も…の……」
男が座る位置からはお松の姿がよく見えた。当初は主役の藤村の演技を見に来ていたのだが、途中からはお松の演技に見惚れてしまったらしく、藤村の演技が続く中、彼の視線は倒れ伏す拓海に注がれている。
準主役という役どころながら圧倒的な存在感を醸し出している。だからといって主役を食っているわけではなく、むしろ引き立たせているから不思議だ。
確かな高揚感を覚えた男は、芝居を見届けると席を立ち、どこかへ消えていった。